2011年9月30日金曜日

成功要因が数値化できることだけで構成されているわけない

アメリカンフットボールにおける花形ポジションといえばクォーターバック(以下:QB)だ。
アメフト知らない人手もQBは知ってたりするし、私らぐらいの年(30才以上)だったら「ジョー・モンタナ」が三菱のテレビのCMで「どんな、モンタナ!」って言っていたことぐらい覚えている。
QBはオフェンスチームのリーダーでありマネージャーだ。相手ディフェンスの様子を見て、どうしたらオフェンスチームが効率よく得点を出来るかを考えプレイする。手堅くランニングバック(以下:RB)にボールをもたせてじわじわ攻める、テンポ良くパスを投げて攻める、時には自分自身がボールキャリアになって単身突破を図る。オフェンスにおけるあらゆる選択肢がQBに委ねられている(といってもプレイコールはベンチからでることが多いが)。

パッと見ると、パスを投げてたまに自分で走るので、パスを投げるのが上手ければ務まりそうな気がする。足が速ければ尚良しだろうか。もちろんパス能力に秀でたところがあれば、個人成績として良い結果がでる。足が速ければQBだてらに○○ヤードも走った、と評価される。しかしアメフトの世界では、個人成績だけが優れているQBの評価はある一定のラインでとまってしまう。良いQBかどうかは勝てるQBかどうかで決まるのだ。チームが勝つには自身の能力だけではなく、チームメイトの能力も引き出さなければ勝てない。アメリカンフットボールは個人の能力だけで勝てるような仕組みにはなっていない。

チームメイトの能力を引き出すにはどのようにすればよいのだろう。ベンチからのコールを正しく伝える。味方を鼓舞する。時には叱咤する。チーム全員の共通の目的である「勝利」をつねに意識し、そのために振る舞う。リーダー兼マネジャー的な能力が求められ、ときにはコーチングの能力も必要になるだろう。アメフトの世界ではこれを「クォーターバッキング」という。ちなみにこれは私の解釈であって、異論を言う人もいる。クォーターバッキングの正体はまだ解明されていない。少なくとも数値化できるようなものではない。もし数値化できるのであれば、それはチームの勝利数ぐらいかもしれない。

仕事において、単純に○○の作業ができる、○○を知っている、○○の経験がある、だけでチームを構成しても上手くいかないことがある。とくにチームで仕事をする場合。メンバーは適正な人を揃えたつもりだが、なぜか期待する結果がでない。何故か。それはそのチームにクォーターバッキングをする人がいないからだろう。チームは個の集まりにすぎず、同期もとれず、下手をすればちぐはぐな動きをして、終わってみればみんなががっかりする結果しか得られない。

なんでこのようになるのだろう?
それは成功要因を数値化できるモノゴトだけで判断するからおこる。
本当に素晴らしい仕事というのは、そんなものだけでは構成されない。

チームに適切なリズムを生みだす。失敗をしても誰もメンバーを責めたりしないことをキッチリ宣言し安心をしてもらった上でベストを引き出し、ちょっとくらいへまをしてもオレが何とかするよという優しさをもつ。関わりのあるチーム外の、それは組織の上司や顧客、ビジネスパートナー、いろいろあるだろうが、そういった人達からの疑いや厳しい視線は自分に集め、メンバーをリラックスさせ最高のパフォーマンスをひきだす。当然、時には厳しい非難の矢面に立たされることもある。それが何だと言うのだろう? 損な役割か? いいや、違う。メンバーはそれぞれのポジションで最高の結果をだすべく一所懸命に頑張っているのだ。もしかしたら自身の能力を超える難しいことにチャレンジをしているのかもしれない。そんなメンバーが外からのつまらない視線や声に晒されることなくそれらの役割を買ってでて、チームのために働く。そして上手くいったら、チームメンバーに最高の賞賛を贈る。みんなのおかげで成功したと伝える。これが仕事におけるクォーターバッキングだと思う。

スクラムにおけるスクラムマスターというのはこれに近いのだと思う。そう言う意味では正体不明なクォーターバッキングにある一定の形をもたせたともいえるのでスゴイ。故に私はスクラムが好きだし興味がある。

現代において、とくに間違った成果主義が横行しているような組織では、こういった働き方は損をするかもしれない。いなくても十分まわると勘違いをされることもあるだろう。しかしそんなものは間違いだ。目に見える数値だけでモノゴトを判断してるようでは、ほんとうに大事な成功要因を見失う。誤った判断は時間が経ち、すでに取り返しが付かなくなったときに顕在化する。その時になってあれこれやってももう遅い。




多分ね。

2011年9月29日木曜日

書店と出版と書籍の未来について思うこと

私の父は今年の11月で60歳になる。父は私にいろいろなことを教えてくれたがその中でも特に感謝しているのは下記だ。

・本を読め
・本代をケチるな

実際、私が学生の頃は本に払う金がなければ気前よく小遣いをくれたし、そうして買った本の中には私に大きな影響を与えたものもある。また本の貸し借りもしていたので「ザ・ゴール」は父から借りて読んだ。父は言葉に出して言わないが、継続的な読書が人生をより良くしてくれるものと思っている節がある。
そういう父の影響を受けた私としては、彼の還暦祝いに Kindle か iPad を贈りたいと考えていた。書籍購入にかかる請求先は私宛にして。
しかしこの目論見は実現しそうにない。残念ながら Kindle や iBooks が日本で本格的なサービスを開始する目処は立っておらず日本語書籍もほとんどない。日本の出版社やメーカーからでているサービスはいまだ決定打と呼べるものがなく、むしろ購入しても早々に撤退しそうな雰囲気がありありであり、とても還暦祝いにプレゼントできるようなシロモノではない。
(この手のサービスはいつも「夏目漱石」や「太宰治」などのド定番を最初のラインナップに加えているが、それらが読みたくてわざわざリーダーを買うと思っているのだろうか?)
Kindle が発表されたのは2年くらい前で、私は2年もあれば日本でもサービスを開始するものだろうと思っていただけにとても残念だ。

・大手出版社に対する不信の念
彼らは「出版」というものを何だと思っているのだろう?
今の状況はどう考えてもレコード会社と同じ徹を踏んでジリ貧になることは間違いない。ビジネスとしてみるとあまりにもひどい状況だと思う。文化面でみるとどうか? 私はこの点において怒りを通り越して呆れている。

・書店
極論かつ推測で恐縮だが、将来有望な若者が多く育つ地域には良い書店があると思っている。知的な情報に気軽に、頻繁に接することができれば、興味が書籍から得られる情報に向かうのは自然な流れのはずだ。だから、そういった事業に関しては税金で優遇するとかあっても良いのではないかとすら思っていた。いちおう図書館がそういう役割を果たしているのだろうが、店主のセンスで大胆な書棚の構成ができる書店にも何らかの支援があっていいと思う。しかし現実は、Amazon.co.jp の台頭により、街角の小さな書店がどんどん姿を消している。ターミナル駅の周りには巨大な書店がどんどん立つようになったが、大量の在庫を用意しなければ来客数を確保できないこの流れは、ネット書店の魅力とかぶってしまっている。大手書店も生き残っていくのは大変だろう。

・今後どうなるのか?
地域から書店が姿を消すことによって、その地域の子供たちが書籍に接する機会が減る。間違いなく減る。自分で本を選んで買う機会も減る。すると子供は読書以外の遊びをするだろう。読書の習慣のない子どもが多く育つことになる。彼らは当然、大人になっても本を買わない。情報収集は別のやり方で行うだろう。これは結局、出版業界自体の首を締めることになるのだが、そういうことには思いが回らないのだろうか?
また、極めて偏った物言いで恐縮だが、読書の習慣のない人は情報収集が遅く仕事においてマイナスになる。ちょっとした文章を書かせても誤解を生むような書き方や、伝わらない書き方をして、周囲の人間にいらぬ負担をかけている場合がある。「こいつのメールはいつもつらつら長いが何が言いたいのかさっぱりわからない」といった経験をみなさんもお持ちではないだろうか?(※)
読書を通じて言葉の扱いに長けていくことはとても大事だ。「読み書き算盤」と良く言われるが「読む」にも上手い下手があることを認識している人は少ない。読むのが下手なら書くのも下手になるのだ。これを疎かにして、今後いったいどうしていけというのだろうか?

 ※私の日本語もひどいもんだけど

・やるべきことはシンプル
一刻も早く、Amazon でも Apple でも Google でもいいから電子書籍の販売網を整備するべきだと思う。現在の出版、印刷、取次の業界の既得権を気にしている間にも日本人は学習機会を損失しつづけている。また電子書籍の普及は大量の在庫を抱える必要がなくなるので、待ちの小さな書店にとってもメリットになるはずだ。数台の端末を設置し、来客者に対して書士として対応すればいい。マンガ喫茶みたいな形態もありだと思う。多くの可能性があるはずだ。しかし紙の書籍では売場面積による棚在庫の数だけが本屋の価値になりがちである。あらゆるものがデータ化されるこの世の中でそんな馬鹿馬鹿しいことがあるのだろうか?
大手書店はスペースがあまるだろうから、出版された書籍に関するイベントをもっと頻繁にやったらいい。どのみち、本を売るだけで儲けをだしていくのは難しくなる時代だ。以下に効率よく手持ちのスペースを活用していくのかは書籍が電子化しようがしまいが関係なく考えなければならないことだ。

・あらためて「読み書き算盤」
この世の中がどんなにIT化されようと、ましてや人類補完計画や攻殻機動隊の世界が実現しようとも、言葉を扱うことの大切さはかわらない。やりとりする情報量が増えるのであればより重要になってくる。それの熟練度を上げるのは日々の読書体験だ。どうか日本の出版関係者は、私たちや私たちの子供たちが、あって当然である読書の機会を損なわないようにしていただきたい。欧米では提供されて日本にはない。こんな不公平があるか?
本から多くのことを学び、育ってきたからこそそのように願う。





多分ね。

2011年9月28日水曜日

【毒】ボソッ

リーダーシップやマネジメントについて、それらを身につけようとか学ぼうとか思わないのであれば、いつまでたっても人から小突き回されるのだと思うし、主体性を発揮したり自由に振舞うことだってできない。

自分自身の人生をリーディングしたりマネジメントするのはどこの誰ですか?

※それだけやれば良いとは言ってません。

2011年9月26日月曜日

会社を辞める理由ねぇ…

「楽しくないから辞める」
っていうのもあるんだろうけど、個人的には「組織との対話」ができなくなると辞めていくのだと思う。
対会社、対上司、対同僚。いろいろあるだろうけど。対顧客や対ユーザーもあるだろうな。

優秀な人(あいまいだな)って、目的意識や問題意識なんかを持っていて、なんとか良い方向にもっていこうと組織に対して働きかけているはず。それとかちょっと知っていれば回避できる失敗とかも、そうならないように忠告したり、情報を発信したりとかね。
でも、組織や同僚が無関心であったり、忠告を無視して凡ミスを繰り返してたりすると「くだらねぇ付き合いきれるか」ってなるんじゃないかなー。
ああ、これが「楽しくない」という状態か。楽しくないから辞めるは確かにあってる。。

夕べテレビをみてたら中日の落合監督が言ってたことが印象に残った。
・選手というのはできないことをやろうとする
・できないことをやろうとするから失敗する
・今やれることだけやってればいい、っていうのもあるけど、それは本人がおもしろくない
・だから俺達がやることは、できないことをできるようにするための手助けだ

激しく同意してしまった。

今やれることだけやっていればいい、っていうのは人間を工場の装置か何かのように扱っているのだと思う。
あなたの成長なんか期待していないよ、みたいな。
◯◯さんが同じような仕事をずーっとしてくれるのは、管理する側からしたら楽ちん。
でも◯◯さんが「こんなことやりたいんです」とか言い出すと、その分、他の誰かをその仕事にあてたりとか、いろいろ手間がかかる。
だからずっと同じことやっていてほしい。
そりゃ楽しくないよね。

でもこれはある意味、正解かもしれなくて、そこで言う「ずっと同じこと」を何年かやって役目を果たしたなとか、そろそろキャリアアップするかと考えて違う仕事をする。それは「辞める」ではなくて「新転地をもとめて旅立つ」だからそんなに悪いことじゃないよね。



多分ね。

2011年9月6日火曜日

XP祭り2011の個人的な感想

感想なんて個人的なものに決まっているのだから、いちいち前提をいう必要なんてありえないのだけど、それぐらい個人的な感想なのでいちおう(なんじゃそりゃ)。

久しぶりに友人たち(一回でも一緒に酒のんだら友達だと思ってます。一方的ですがw)がいて、みなさん元気そうでほっとしたり、会えて嬉しかったり。「take3000の人相が変わりすぎてて誰だかわからなかった」というTweetも散見されましたが、まあ、あれです、一貫性がなくてごめんなさい。

私は諸事情があって午後からの参加でみなさんが絶賛していらっしゃる社長セッションは聴いていない(全然悔しくないもん)のですが、私が参加したセッションの中では、「アジャイルを科学する」と「事業創造に貢献する”最速最高”プロジェクト推進活動」がとても良かったなー、と。そりゃもちろん、他にも聞きたいセッションはありましたよ。でもね、

 ジコ坊「天地の間にあるすべてのものを欲するは人の業というものだ…」

そう思って諦めればね、全然悔しくないもん。。。

ここからは本当に個人的な感想ね。

昼休みの野良LTコーナーで先陣切ってLTやったのは我ながら隠れたファインプレイだったと思う。
samuraiRedさんが「やるなら人を呼んで来ますよー」って背中を押してくれたのもありがたかった。
あの場の緩くてスニークピークっぽい雰囲気はとても良かったと思う。

その後の闇アジャイラー2.0はまあまあでしたね。
続編でこける映画が多い理由を身を持って体験しましたw
技術的には1年近く前の闇アジャイラー1.0(便宜的にそう言っておく)よりはるかに上がってますが、結局、1年前の自分のほうが良いパフォーマンスをしていたんだなー、と寂しく思ってみたり。

いろいろ難しいですね。
でもXP祭りは参加して良かったと思っています。
来年も(は)みんなで野良LTやるといいと思うよ。